捕らぬ狸の腹鼓

趣味やお出かけなどの話題を雑多に虚実織り交ぜて

とるにたらないことだけど

常に不安を抱えている。

たいていは根拠のない、なんでそんな心配をしてしまうのか、自分でもその愚かさに笑ってしまうような、そんな不安だ。

それこそ、「天が落ちてくるのでは」と考えるようなものばかりなのである。

実例を挙げよう。

まず、朝起きた途端に不安になる。変な夢を見たからだ。

「両手の甲側の指関節が乾燥のためにひび割れていくのを放置してきてしまっていたが、ある日そこに毛が生えていることに気付く。産毛とは明らかに異なる黒々とした毛が複数本。前指を折り曲げ、よくよく確認してみると、ひび割れた部分に小さな目ができていた。なるほど、この毛は睫毛だったのだ。

(あぁ、百々目鬼になってしまった。皮膚科に行きたいが、今日は午後休は取れるだろうか)

と考えながら、職場で食べる用のお弁当をこしらえる」

そんな夢だ。

目が覚めてすぐに、両手の裏側を確認した。

まさか自分が百々目鬼になっているかもとは思わないが、それでもなんとなく、そわそわとした気分になる。

仕事中は、何度もハンドクリームを引き出しから取り出した。

 

ほかには、職場でお弁当を食べるのが不安だ。この時間が本当に昼休みなのか、確信がもてないのだ。

所謂、会食恐怖症とは違う。自分の食事のマナーがあまりよろしくない自覚はあるが(箸の持ち方なんて酷いものだし、意識していないとすぐテーブルに両肘が付く)、誰かと食事を摂るのは好きだ。

ただ、「今ってほんとにお昼休みであってる?」という不安が湧く。何故かはわからない。退勤時にも「今ってほんとに帰って大丈夫な時間?」と思ってしまうので、時計を読むのが苦手なのかもしれない。

とはいえ、退勤時にも昼休みの開始時にもサイレンが鳴り響く職場なので、時計が読めなかろうと業務の開始終了休憩には支障が出ないはずなのだ。はずなのに、不安だ。就職してからずっとこうだ。

そのため、昼休みはいつだってほかの誰かが食べ始めるまで鞄から弁当は取り出さないし、退勤だってほかの誰かが先に帰る姿を見ないと自分も職場をあとにできない。

下っ端なので当然ですという体で出しっぱなしの書類を片したり付けっぱなしの機器の電源を落としたりして回っているが、気が利く後輩仕草でも雑用大好きでもなんでもなく、その実「やることある風」を装うことで、一番最初に退勤するひとになることを避けているだけである。

 

予定を忘れていないか不安だ。

会議、出張、メールの返送、外部に提出する書類の期限。

デスクの卓上カレンダーにも、共有のスケジュール表にも予定は決まり次第即書き込んでいるが、それでも「今日ほかになにかあったんじゃないか」と常にうっすら引っかかる。

粗忽者なので、失念や失せ物は事実毎日のように発生するが、とはいえ「ない予定があった気がする」のは実体のない不安だろう。

 

変な格好をしていないか不安だ。容姿にコンプレックスがあり、「自分がなにをしたところで」という気持ちから見た目に気を配ってこなかった。結果、今更になってTPOに合った服装をしているか、髪型やメイクはおかしくないか、正解がわからなくて心配になっている。

会話の返答を誤っていないか不安だ。主に、雑談の場合である。わたしは誰かに話しかける前、脳内で樹形図を組み立てている。こちらが「A」と言ったら、相手はきっと「B」か「C」と返してくるから、「B」のときは「D」、「C」のときは「E」と応えよう。

そうやって会話のパターンを想定し、第一投を放つのだ。

想定どおりに進む会話は、和やかなコミュニケーションになる。想定外の返答が来ると、狼狽えて変なことを口走るか、表情だけでなんとかしようとしてしまう。目を見開いたり、眉をひそめたり。「言葉は出ないが、あなたの話は受け止めている」という意思表示だ。

変な反応になってしまっている自覚はある。

格好とコミュニケーション、これは事実に即した不安である。

 

不安が多いから、それがトリガーになって依存症にならないか不安だ。

アルコールも食事もインターネット検索も好きだ。

好きだから、逃避先として依存してしまう日が来るのではないか不安だ。

 

変なひとだと思われていないか、とは不安にならない。

「ちょっと変なひと」なんか世の中いくらでもいるわけで、自分も傍からそう見えていたとて、笑顔で愛想良くしていれば、社会の中にはいさせてもらえる(はずである)。だから、過剰に笑顔でフレンドリーに接してしまう。鬱陶しいと思われているだろうな、とは感じている。これは不安でなくて、確信よりのやつである。でも調度良い塩梅がわからないので、無愛想と思われるよりはマシなはずだと笑顔と高い声でテンション上げて生きている。

それでも、「嫌われてるんじゃないか」とは不安になる。が、爪弾きにされないだけで良しとしようと決めている。

 

 

「あれが不安これが不安と煩い」と、ひとから言われたことがある。そのとおりだと恥じ入った。

だからもう、不安も心配も外には出さないようにしたいと思っていた。

思っていたのに、こんな文章を書いているし、なおかつブログなんかにあげて誰でも見れるようにしている。誰が見るかもわからない。誰も見ないかもわからない。そういう場に放つ分には、良しとしたいという甘えがある。

ありえない不安も、ありえそうな不安も、不安というか現状すでにそうなっちゃっててもうどうしようってやつも、ひとに話そうが話すまいが、それらが消えてなくなるなんてことはない。

だけど一人で抱えていると不安がもっと強固になるから、せめてブログには書かせてほしい。

文字にして公開することで形としては残ってしまうが、なにかは和らぐのではないか。期待にも似た、そんな思いでいる。

 

明日の朝、きちんと起きて遅刻せずに出勤できるか不安がある。昼休みに食事をするのも不安だろうし、退勤時だって不安なはずだし、会話も上手くはできないだろう。

不安は尽きない。どこからだって湧いてくる。

でも、少なくとも明日のわたしは百々目鬼にはなっていないんじゃないだろうか。

そんな気が、今はしている。